プロポーズの成功翌日の3月15日。
ホッと胸を撫で下ろす暇もなく、次の試練が私を待ち構えておりました。
彼女の実家を訪問し、両親に挨拶をする。
TVで見たあれを、私が実演する日がやって参りました。
私の好きな曲から言葉を拝借するならばこんな心境です。
❝人生はそう一度きりの主演作品さ 燃え尽きるだけ❞
tokyo bambi/the pillows⇒You tube公式はこちら
1.ロードマップ
私とMarina(以下、彼女と呼びます)の交際歴は以下の通りです。
2020年12月19日 交際開始
2021年7月~ 愛知県で彼女と同棲
2021年末~翌年始 若林の実家(新潟県)へ2人で帰省。両親に挨拶をする。※ブログあり⇒前編・後編
2022年3月14日 ※ブログあり
2022年3月15日 彼女の両親に挨拶
【執筆時はこの辺り】
2022年4月頃 入籍予定
2022年10月頃 挙式予定
本来であれば、彼女のご両親に年末に挨拶を済ませておく予定でしたが、諸事情により延期。
若林家への挨拶を先行させて現在準備を進めているところです。
2.葛藤
1.からもわかりますが、私は彼女のご両親に一度も挨拶をすることなく彼女との同棲を開始しました。
もちろん、彼女に同棲の話を持ちかけた時には身を固める覚悟を決めていました。
しかし、ずっと彼女のご両親にご挨拶ができていなかったことが心残りでもありました。
コロナ禍だったとはいえ、ご両親の意向を置き去りにして話を進めてきたことは失礼だったと今でも思っています。
結果的に、私の場合は彼女のご両親のご配慮のおかげで事なきを得ましたが、考え方も風習も違う家が一緒になるわけです。
当事者は相思相愛であっても、両家で仲違いが発生したら穏やかな結婚生活は難しくなります。
きっかけはほんの些細なことかもしれません。
それでもボタンの掛け違いが生じないよう些細なことであっても家族間で共有し、手順を踏む。
それが大切なことであると身をもって感じました。
愛知県を含む東海地域は独特のしきたりも多いと聞きますので、これから結婚を考えておられる方には是非覚えておいて頂きたいです。
3.挨拶
長野駅には彼女のお母さまが迎えに来て下さいました。
きちんとお話をするのはこれが初めて。
ただ、結婚相談所の電話に見知らぬ番号から着信があり、私がそれに出たときのお母さまの驚きようと気まずさは今でも記憶に刻まれています。
彼女の電話番号と間違ってお電話されたみたいです。
はい、きちんとしないお話は既に済ませておりました。
「はじめまして。若林恭介と申します。」
なんとなく白々しい空気が漂っていました。
家に到着するとお父さまは調理中。
料理好きでいらっしゃるそうで、何日も前からメニューを考えていてくれたそう。
サラダ、お刺身、天ぷら、ジンギスカン、郷土料理などに加えて私の好きなウイスキーまでご用意頂きました。
お父さまはお話し好きで、料理の解説、ご自身の生い立ち、趣味・・・色々なことを話して下さり、その間、ちょくちょく入るご家族のツッコミがまた素敵でした。
そうなると難しくなってくるのが、本題をいつ切り出すか。
話を遮るのも気が引けるし、このままグダグダ過ごすのも違う。
食事が落ち着いた頃合いを見計らって話を切り出しました。
「連絡が遅くなってしまいましたが、Marinaさんとは結婚を前提に一緒に暮らしております。本日はMarinaさんとの結婚を認めて頂きたく、お邪魔いたしました。娘さんとの結婚をお許しいただけませんでしょうか。」
「お願いします」と驚くほどの即答を頂いて、私は両家の顔合わせ会について私の両親の意向も含めて話を進め、ご了承いただきました。
【私の両親の意向】
・結婚は当事者の意向を尊重し、両家の親族は「支援者・協力者」としての役割を果たしたい
・両家で話し合うべき事柄は新婦方のご両親の意向を最大限尊重することとしたい
・結納形式は採らず、顔合わせ食事会方式を希望する(新郎方の父が進行役をするのが一般的なのでそれに従うことにする)
・顔合わせ食事会には若林家の家族4名で長野にお邪魔するが、日時やお店の手配はお任せしたい
・結納は行わないため、「結納金」ではなく「ご祝儀」を持参する(結納金ではないので半返しは不要である)
自分でやってみて感じたのが、実は事務的な連絡事項が地味に多いということ。
当たり前と言えば当たり前なのですが、両家の橋渡し役は自分であるのだなということを実感しました。
男性側は、一度自分の両親の意向を整理して挨拶に臨まれた方がスマートだと思います。